Candy drop not off (シャークズ)
仕事、仕事、仕事――と、重ねに重ねられてぐったりしてしまって、通りかかったコンビニにふらふらと入った。何か甘いものでも食べたいなあ、とうまく回らない頭でぼんやりと思い、そういえば甘いものって確かストレスが溜まると欲しくなるんだったか、とか思って更に気が重くなって、チョコレートの並んだ棚を見るふりでしゃがみこんでしまった。はああ、とついため息をつく――こつん、と頭の上に何かが落ちてくる。え、と思う間もなく床にぶつかって、ころころころ、と転がって足元で止まる。赤と白のストライプの包み紙をしたキャンディーで、どうやらコーラ味らしい。どこから落ちてきたんだろ、と顔を上げ――そこで紅葉の目が点になる。
多分陳列の間に合っていない、満杯からは少し減ったお菓子の箱の列の一番前。その空いた隙間を足場にして、その体に見合う小さな買い物かごをぶら下げて、目に付くものを片っ端から(一応選んでいるのかもしれないが、紅葉から見れば適当としか思えないような無造作さで)放り込んでいる。その体に見合う大きさだから、当然買い物かごはすぐにいっぱいになってしまう――それを認めると、ふう、みたいな顔をして、よいしょ、みたいな感じで、くるりとレジの方に体の向きを変える。
唖然としてしまって反応が遅れた。
「――――ま、待っ、ど、どこいくのよ!」
我に返って慌てて声を出した。小声で怒鳴るなんて訳のわからないことに、妙に慣れてきてしまっているのが本気で腹立たしい。お菓子でいっぱいの買い物かごを抱えたハズレ君が、こちらを振り返っておやと首を傾げてみせる。
「よぉ、クズっちじゃないか。どこ行くって、そりゃ、レジだけども」
「な、何言ってんのよ、駄目に決まってるでしょうが……!」
「おいおいおいおい、会計しないで持って帰る方が、どう考えたって駄目に決まってるだろ」
「あ、あんたねえ――!」
諭すような口調で正論みたいに言われて、思わず声を荒げかけ。えっ、みたいな顔の店員がこっちを向いて、紅葉は慌てて声を堪えた。売り場に出ている店員は一人だけで、今は肉まんやらフランクフルトやらを補充しているらしかったから良かったものの、お菓子コーナーはレジの目の前で、本当だったらこのやり取りも丸見えだ。
ああもう、と財布を出す。
「――――買うわよ、私が! それならいいでしょ!」
*
店を出た途端にレジ袋をがさがさやり出したハズレ君を止めるのに苦労しながら、人気のない公園のベンチをどうにか見つけて座り込んだ。選ぶ余裕が全然なかったので適当に買った板チョコレートを出して、銀紙を剥がして、パキリと割って一口齧る。甘い。はああ、とため息をついていると、ハズレ君が(紅葉が買ってやった)飴玉をぱくりと口に入れて、空の包み紙にちょっと目を落としてから肩を竦めた。
「こーゆーのって、どうなんだ?」
「〝こーゆーの〟って何よ」
紅葉が聞き返したのと、人形が空になった包み紙をぺっと放り捨てるのが同時だった。堂々としたポイ捨てで、いや何してんのよと𠮟りつける間もなく、ハズレ君は飴玉の封を次々びりびり切ってはぱかぱか口の中に放り込む。イチゴ、ぶどう、オレンジ、メロン、ミルク、クリームソーダ……がりがりがりと噛み砕く音をさせながら、空の包みをぽいぽい落としていく。
「あ、あー! もう、ほんとに何……、私片付けないからね」
顔を顰めて釘を刺したが、散らかった地面がどうにも落ち着かなくて、包み紙をつい一つ拾い上げてしまった。と、内側の文字に気が付いた。どうやらクジが付いているらしい。〝はずれ〟と平仮名が書かれている。
「……もしかして、このクジのこと? 全部外れてんの、これ」
「そうそう、それ。それ、マジで何なんだろうな? 別にこっちは運試しなんてしたくもないのに、勝手に参加させられて、勝手にハズレにされたってムカつくだけじゃないか? こーゆーのって、誰も頭にきたりしないもんなのか?」
「まあ、そりゃ、クジってそういうものだし、これただの駄菓子だし」
「じゃあ商店街の福引きとか、五千円以上のお買い物をした方に差し上げてます、みたいなスクラッチでもいい。そーゆーどーでもいーよーな抽選会に引っ張り出されてガラガラを回させられて、やっぱりハズレしか出なくて、残念賞ですってポケットティッシュを渡されたところでため息しか出てこなくないか?」
「……だから、そんな風に私に文句を言われても、そういうものなんだってば」
「つまんないのが当たり前、か?」
「いや、つまらないだけってことは……どちらかっていうと、ちょっと楽しい、みたいな気持ちになるのが普通なんじゃないの?」
「ほほう、普通か。しかし実際ハズレが出たって、楽しくもなんともないだろう。それなのに、なんでわざわざ楽しくもないものを入れるんだろうな?」
「別に、嫌な気持ちにさせようって思ってやってる訳じゃないでしょ。喜ばせようって思ってやってるんでしょ」
「喜ぶのは当たった一人だけだろう。その一人のちょっと楽しい、の為に残りのやつらをがっかりさせている訳だ。喜ばせたいなら、ハズレなんて入れずにぜーんぶ当たりにしちまえばいいのにな」
「ああもう、だから、そーじゃなくて――そういうことでもなくて。もう、なんていうのかな、その――どきどき、とかさあ、あるじゃん」
「どきどき、ねえ」
「ほら、当たり外れって運次第でしょ? 皆に平等にチャンスがあるんだから、次は自分が当たるかもって期待できるじゃない」
「期待は、そりゃするだろうよ。わあ何が当たるんだろう、もしかしたら滅茶苦茶良いものかも――とかな。そうやって勝手にどきどき期待させられて、でも本当に期待通りになる保証なんて誰もしてくれてないんで、やっぱりハズレが出てきてがっかり、か? だったら最初から余計な期待なんてさせない方がよっぽど親切ってもんじゃないのか」
「あ――――! もう! そーやってネチネチネチネチと――ハズレ、ハズレって、あんただってハズレ君でしょうが!」
「ハズレ君だから憂いてるんだろ? そーやって余計な期待を持つことに、意味なんてあるのかなあ、ってな」
「――――」
術者のいないその人形が、そうぼやくように言って、紅葉は返事をし損なった。肩を落とすでもなく、しかし大袈裟に両手を広げてみせるでもなく、ただ少し気怠げな立ち方した人形は、紅葉に向いていた視線をふいと外す。赤い瞳。どこを見ているのか摑ませる気のない色をしている。
「勝手に押し付けて、選ばせて、その結果がどーだろうと責任なんて取っちゃくれなくて――全く、随分と理不尽で強引で乱暴な遣り口だと思わないか? 先にある運命なんざ、こっちは何にも分かる訳ねーっつーのによ」
問いかけと独白の間のような響き。いつもいつも〝実感〟なんて全然籠っていない他人事の顔で話を進めてしまうこいつが、なんだか――珍しいことを言っている。黙り続けている紅葉に構わない、本音にしては温度の低い、酷く淡々としすぎている声。
「いやいや、それともそれこそが期待をされているってことなのか? そういう不毛なクジを延々引かせても、それでもそのいつ来るかしれない〝当たり〟を引くのを期待することを止めないだろう、と? 仮にそう思われていたとして、これは光栄だとか思うべきなのか? それともそんなもんを勝手に背負わせて冗談じゃねーぞと怒った方がいいのか――なあ? 君はどう思う、クズっち?」
彼の視線が紅葉に戻る。真逆の色をした瞳。紅葉は口を開きかけて、一度閉じた。もしも今のが、と少し迷う――もしも今のが本音なら、どんな答えを出せばいいんだろう、と。
そう、少し迷って、そうして――ふう、とため息をついた。
どうせ、と諦める。
どうせ――そうやって言い淀もうが、もっと良い答えを出せないかと頭を抱えようが、結局のところ紅葉が出せる答えなど、どうせ一つしか用意出来ないのだ。
「――――いや、そりゃ、ハズレばっかりだったら流石にちょっと困るけど。でも絶対当たりが出るって分かってるクジだって、それはそれであんまし引く意味無いんじゃないの」
眉を顰めて言い返せば、ひょひょひょひょひょ、とハズレ君が笑ってみせた。
「それは励ましてくれているのかな? それとも慰めてくれているのか――恐悦至極、と言いたいとこなんだが、実をいうと当選確率ってのは計算で弾き出せるんで、どれだけ引いたら当たりが出るかは、意外と簡単に分かるんだぜ」
「は?」
ぽん、と何かが飛んでくる。反射的に受け止めて、顔を上げると人形がいなくなっていた。何なんだ、と思って手を開くと、封の切られていないレモン味のキャンディーで、紅葉はしばし眉を寄せる――何が言いたかったのか、何を言わせたかったのか、何を知りたかったのか、結局のところいつものように、全く分かった気がしないまま終わってしまった。手の中の飴玉に目を落とす。こっちは封を開ければすぐに答えが分かるのに、と思う。
答えをすぐに教えてくれる、このクジの方がよっぽど親切じゃんと思ったら、何だか一気に馬鹿馬鹿しくなって、紅葉はキャンディーを口に入れて、クジの結果は見ないまま、ゴミ箱の中に放り込んだ。
〝Candy drop not off〟 closed.
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