2025.05.17 00:00身から出た錆(ギノ酸) 雑踏の中、頭二つ分高い後ろ姿が見えて眉を顰めた。足を引いて方向を変えかけて、それよりも一瞬早く、こちらを向いたそいつと目が合う。そのまま大股で早足にやってくる――舌打ちをひとつ。「ギノルタ……! この辺りで猫を見かけなかったか? 黒と茶色のサビ猫というやつで、」「知るか」「そ、そうか……すまない、急に引き止めて」「本当にな」 言い、踵を返しかけ、少し引っかかって振り返った。「……猫?」 眉を顰め...
2025.05.17 00:00ミルクと狸と深夜二時(長谷酸) どこにでも〝潜れる〟とはいえ、どこもかしこもそうして済ませるほど無精というわけでもないので、長谷部は渡されていた鍵を素直に回して扉を開けた。チェーンを外されていたのは幸いだった。チャイムを鳴らして中の者を呼び付けたくなかったのは、詩歌が眠っているかもしれないと思ったからだ。深夜二時の少し手前。彼女の状況が状況ではあるから、もしかしたら不安で眠れていないということもあるだろうが、もしも眠れているの...
2025.02.15 08:49矛盾の合わせ鏡、あるいはマジック・ミラーが割られるとき「『あらゆるものを嘲笑うのが悪魔ならば、悪魔自身を嘲笑うものは、なんと呼べばよいのだろう?』」「またなんか、よくわかんないことを……なによそれ? なぞなぞ?」「まあこれは吾輩じゃなくて、とある作家の言葉なんだが。君だったら、そいつのことをなんと呼ぶかい? クズっち」「いや、ていうかそれ、まず前提からおかしいんじゃないの。あんた、前に〝悪魔には自分というものがない〟とか言ってたじゃん。それがないって...
2025.02.02 09:41今度はふたつどころじゃなく(れめしし) お邪魔しまーす、と軽やかな声で一番に真経津が上がり込んだ。村雨、天堂と続き、最後に叶。玄関の鍵を閉めて振り返ると目の前に何かが突き出されていて、獅子神は危ういところで仰け反って避けた。文句を言おうと視線を上げれば、長い腕の先で叶が小首を傾げてみせた。「これ敬一君にあげる。オレからな〜」「ああ?」 赤地に白いハートマークが散った、銀紙に包まれたハート形。細い棒が付いているから、キャンディーか、それ...
2024.10.19 00:57ハズレ君とクズっちとブギーポップ「ええ……。それってさあ、ブギーポップの話?」「ぶぎーぽっぷ?」「え? いや、だから、死神で。ほら、人が一番美しいときに、それ以上醜くなる前に殺してくれるっていう……あ、あー。そっか、これって女の子だけの秘密の噂なんだっけ?」「女の子だけの秘密の噂なのに、吾輩に言っていいのか?」「いや、だって。ただの噂だし。どうせハズレ君だし」「何が〝どうせ〟なのか、さっぱりわかんねーんだが……ブギーポップ、ねえ...
2024.09.14 03:17過呼吸(水ギノ/ギノ→酸) いずれこうなると思っていた。いずれ、いずれ、いずれ、いずれ、いずれいずれいずれ――、きっといずれと、ずっと。 細い指が喉にかかる。息が締め上げられる。頭の中が白く霞む。空気がぎりぎりと引き攣れて、それよりも尚軋んだ声がいう。『――どうして、』 触れられた部分から、火傷をしそうに熱い。酷く。『どうして僕を裏切ったんだ、ギノルタ……』 似つかわしくはない、相応しくはない、この方らしくはない熱。激情。...
2024.08.31 17:49それを切り分けるときまでの(アンナチュラル) それがどちらの願いなのかと、醒めた頭の中で思う。 顔は潰されていて、身元がわかるようなものも何もなく、だから誰かなどわかるはずもなかったのに、それは何故だか明瞭で明白だった。中堂さんは関係者です、と引く気のない顔で言い放った声が蘇り、いいのか、と頭の中で言う。おい三澄、 俺は今、お前の皮を剥いで全部を洗いざらいにしてやろうとしているのに、それを止めに来なくていいのか。 解剖台の上、ごろん、と横た...
2024.08.04 07:02DIS ASTER(シャークズ) 誰かに名前を呼ばれた、途端に歓声と騒然のど真ん中に引っ張り出された。葛羽紅葉さんですよね、ファンなんです、感動しました、握手してください、ぐるりと周りを囲まれて逃げ場がない。私の知らない、私のことを知っている人達。目の前の空気が薄くなる感覚。にこにこした顔で好意を示されて、もうどうすればいいか分からない。 そう、好意なのだった。非難ではない、悪意ではない、糾弾ではない、私は誰にも責め立てられてい...
2024.08.04 06:51三浦陽介は飛び出さない(シャークズ) ――葛羽紅葉さんですね。以前に一緒に仕事をしたことがあるんですけど、その時に、すごく感銘を……いや、違うな。なんていうか、頭をガツンと殴られたみたいな衝撃があって。で――とにかく、このままじゃ駄目だ、って思うようになって、仕事への意識とか、それこそ生き方みたいなものも全然変わって。――ちゃんと彼女に胸を張って、自分の話が出来るような人間になりたいなあって思うようになったんですよね。それからずっと...
2024.04.20 08:23だって注意しないから(シャークズ) うわ、と言いそうになって口を閉じた。 ソファがあって、それを無視してその足下の床にだらり、だとかでろり、だとかの形容しか使えないような寝転び方をして、座面のど真ん中に重ねた両足を引っ掛けている。適切な使用法から、座標の軸をずらした様な扱い方。積んだ映画のディスクを、タイトルを見ずに引き抜いて崩しながら、パッケージを数秒眺め、ポテトチップスでも摘むような手つきでまた別のディスクを引き抜いて、ルール...