それを切り分けるときまでの(アンナチュラル)

 それがどちらの願いなのかと、醒めた頭の中で思う。


 顔は潰されていて、身元がわかるようなものも何もなく、だから誰かなどわかるはずもなかったのに、それは何故だか明瞭で明白だった。中堂さんは関係者です、と引く気のない顔で言い放った声が蘇り、いいのか、と頭の中で言う。おい三澄、

 俺は今、お前の皮を剥いで全部を洗いざらいにしてやろうとしているのに、それを止めに来なくていいのか。

 解剖台の上、ごろん、と横たわるそれに、メスを入れることを誰も止めない。誰も気付かない。その事実への見殺しを、きっと今度は裁かれない。お前が嫌だと言った絶望に、多分また手をかけている。いいや、と捻じ伏せるように思う。

 家族ではない、友人ではない、恋人ではない、俺とお前に名付けるものは何も無い。

 だから俺が、お前を、切り開くことに何の問題もない。――三澄、

 どうかそうであってくれと、願っていることに気付いている。


「――――中堂さん?」

「――――――」

 目を開けて、声の先を認めて、クソ、と吐き捨てるように毒づいた。本当に、クソ碌でもない夢だ。がたん、と音を立てて椅子に背をもたせかければ、碌でもない気分の原因が不本意そうに眉を寄せた。

「何ですか? 魘されてたから起こしたのに。放っておけばよかった」

「誰のせいだと思ってやがる」

「はあ? どうして私の、……あ、あー。もしかして夢にでも出ました? 中堂さん、夢見めちゃくちゃ悪そうですもんね。でも夢の中のことにまで責任取れませんよ」

 飄々とした調子で言い、三澄は中堂の横を通り過ぎて、ぱちん、と電気をつけた。で、どんな夢だったんです? と軽い口調で訊いてくる。部屋の中はまだ光が足りていなかったから、その急な眩しさにどうにも目を眇めながら、中堂はむすりと答える。

「倫理と感情の狭間で、どちらを取るかを突き付けられた」

「――――ええ?」

「何だ。おかしいか」

「いや、なんていうか……中堂さんはそういうことで悩まない人だと思ってました」

「失礼な奴だな」

「だって、それを突き付けてくるのは中堂さんの方じゃないですか、いつも?」

「お前が――」

 そうやっていちいち悩みやがるから、俺までそんなクソ面倒臭えことを考える羽目になったんじゃないのか、と、思ったがそのまま黙り込む。言い返されるのも言い返されないのも面倒だった。言葉を切った中堂に、三澄が怪訝な顔をしたのを認めて、はあ、とため息を吐く。

「お前、俺が死んだら解剖するのか」

 こいつはどちらを取るのだろう、と考える。倫理と感情と――そうしてふと思う。あの時、あの夢の中で、あの願いはそのどちらを選ぶためのものだったのだろうと。

 沈黙が続いていることに気付いて視線を上げれば、三澄がいわく言い難い表情でこちらを見ていた。目が合う。――ふ、と息を吐くように中堂が笑う。

 まるで鏡に映したような顔をしている。

「――馬鹿が。同僚ならまあ、悪くてグレーってとこだ。倫理と感情の狭間なんてクソ怠いとこまで行く程のもんじゃない。判断間違えないかの心配の方をしとけ」

「ああ、そうか…………そう、ですよね」

 気が抜けたような、安堵のような瞳の色。そっか、と小さく、確かめるように繰り返した声。兆した翳りは恐らく気のせいで、気のせいのままにしてやる、とあやすように思う。

 わかっている。それが――その願いが、倫理と感情の狭間、そこに足を着ける為の最後の錨であることを。

 家族ではない、友人ではない、恋人ではない、俺とお前に名付けるものは何も無い。俺がお前を切り開くとき――お前が俺を切り開くとき、どうかその瞬間までは。

 お前が嫌だと言った絶望に、その足を取らせないようにと願う。

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