今度はふたつどころじゃなく(れめしし)

 お邪魔しまーす、と軽やかな声で一番に真経津が上がり込んだ。村雨、天堂と続き、最後に叶。玄関の鍵を閉めて振り返ると目の前に何かが突き出されていて、獅子神は危ういところで仰け反って避けた。文句を言おうと視線を上げれば、長い腕の先で叶が小首を傾げてみせた。

「これ敬一君にあげる。オレからな〜」

「ああ?」

 赤地に白いハートマークが散った、銀紙に包まれたハート形。細い棒が付いているから、キャンディーか、それともチョコレートだろうか。想定外のファンシーなアイテムに毒気を抜かれて叶の顔を見やれば、悪戯っぽくはあるものの、悪意はなさそうな笑い方をしていた。

「皆にじゃないぞ、敬一君にだぞお」

「……」

 手を出すか否かをやや逡巡する獅子神に(よくこの手のブービートラップを仕掛けられるのだ)、叶が駄目押しのように言う。ほらほら、と急かすようにハートを揺らしてくる無駄に長い指先。どちらにしろ受け取らなければ叶の図体が目の前から退かなそうだった。観念して受け取ってみる。数秒だけ様子を見たが、警戒していたような破裂やデカい音が鳴るようなことは起こらなかった。

「おー、ああ……サンキュな」

 仕掛けられているとすれば中身か? と訝しみつつ礼を伝えれば、叶は満足げな視線を一つ寄越して、用は済んだとばかりにさっさと靴を脱ぎ捨てた。


 *


「……あー、その、叶。最近色々くれるのはその、気持ちは嬉しいんだけどよ」

「〝食事制限中だから食べられない〟? 知ってる知ってる」 

「ワザとかテメー! 知ってんなら何で、」

「ハイこれ今日の分な。最近はバレンタインバレンタインしててハートに困んないよな〜」

「さては話全然聞いてねーか? なあ」

 「カルディで買った」「デパ地下〜」「見てこれ駄菓子! なつ〜」叶が顔を合わせる度に、そんなことを言いながら何かかしらの菓子の類を寄越すようになってしばらく経つ。ハート形をしている、ということ以外に共通点のない菓子は、飴、グミ、チョコレート、クッキー、キャラメル、マカロン、フィナンシェと無駄にバリエーション豊富で、それは別にいいのだが、前述の通り万年食事制限中のこちらとしては、増える数に対して減るスピードが反比例し続けるので、正直なところかなり持て余してきている。幸い日持ちするものが多いので、賞味期限は当面然程の心配はないが、それでも手付かずの食べ物が延々と積み上がっていく状況というのはどうにも居心地が悪い。いつもの顔ぶれは相変わらずのペースで家に押しかけてくるので何度かテーブルに出すことも考えてはみたが(そうすれば一瞬で消えるはずだ)、その度獅子神の検討を先回りするように、叶が「皆にじゃないからな」と目を細めて釘を刺してくる(とはいえ獅子神としても人から自分へと渡されたものを横流しにするような真似は気が引けるので、その釘を延々と溜め込んでしまっていることへの免罪符にしている感は否めないのだが)。

 今日の菓子はご丁寧に化粧箱までハートの形をしていた。深い紺色に細い金字で店名が箔押されている。バレンタインがどうたらとか言っていたので、中身はチョコレートかもしれない。獅子神は女性客でごった返す催事場で、にょきりと飛び抜けながら悠々とチョコレートを選ぶ叶を思い浮かべてみる。

「聞いてる聞いてる、敬一君がオレからのハート溜め込んでるって話だろ」

「そういう話じゃねえ」

「あれ、じゃあどうしてんだ? もしかして捨ててる?」

「……てはねーけど、だから困ってんだよ」

「はは、ほら、やっぱ溜め込んでるって話だった。まだまだ持ってくるけどな〜」

 これはやっぱり悪意だったかもしれない、とちらりと思いながら、何でだよと横並びの叶に顔を向ける。と、想定よりも近い距離に顔があった。耳打ちをするように少し背を屈めて。

「敬一君、そのうち窒息しちゃうかもな」

「――――」

 びり、と音を立てて、受け取ったばかりの箱の封を切る。一つずつ色の違うハートのチョコレートが六個。いつかの誰かの目玉に似た鮮やかに濃いピンクは、今度は想定通りのど真ん中で、獅子神はピンクのハートを引っ掴んで、一瞬頭を過ったイメージごと口の中に突っ込み飲み下す。

 そのまま時計回りに猛然とハートを噛み砕く獅子神のことなどどこ吹く風の顔で、そういやユミピコが捕まえた露出狂がどうなったかって話したっけ? 三十分置きにパンツ投げ込んだやつさあ、と、相変わらずの魅力的な面で上機嫌に言い出し始めた叶を殴るべきかやや考えた。

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