SWEET SWEET NOT PLEASED(シャークズ)
楽屋の中は大変なことになっていた。キャンディー、キャラメル、ビスケット、袋入りのスナック菓子もリボンのかけられた焼き菓子も諸共に、床やテーブルに食べ散らかされている。台風が通り過ぎたような有様、アリスのお茶会みたいな滅茶苦茶さ。ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられたお菓子の家みたいだった。扉を開けた瞬間絶句して、思わず一歩後退りかけ――ばらばらばら、と何かが落ちる音。
テーブルの端、積み上がったお菓子の山のその奥に、小さな影が動いている。ファミリーパックのお菓子の袋を逆さまにして、小包装のマシュマロを全部ぶち撒けると、空になった袋をぽい、と放り投げる。ぽす、と気の抜けた音を立てて空っぽの袋は床に落ちたが、それには構わず、今度は化粧箱にかけられた包装紙をびりり、と破く。
ちょこまかと動きながら、部屋の中をどんどん散らかしていく――引っくり返された箱の中から、綺麗に収まっていたはずのマカロンが紅葉の足元まで転がってきて、それを追うようにお菓子の山の向こうから、ひょい、と小さなシルエットが顔を出した。ピンク色の、多分フランボワーズのマカロンの行方を認め、それから視線を上げて、紅葉に気付くと呑気な口調で首を傾げる。
「よぉ、クズっち。入らないのか?」
「な――何してんのよ、あんた……」
酷い疲労感に襲われて、声がよれてしまって怒鳴り損なった。テーブルの上のお菓子の山は、ぐらりと揺れると盛大に崩れた。
*
当然のように術者はいない。外国のお菓子らしい派手な色使いのパッケージを、それとよく似た色彩の人形――ハズレ君が、頓着しない様子でぐしゃりと踏んで、きょろきょろと周りを見渡しながら、瞳をぱちぱちと瞬かせた。細長い黒の化粧箱にぴょんと飛び付いてオレンジ色のリボンを解き、ぱかりと開けて眺めてみたりしている。ハズレ君を捕まえて止めさせるか、部屋を片付けるのを優先するかでやや迷っていたらアイシングの施されたパステルカラーのカップケーキを危うく踏みそうになり、紅葉は部屋の片付けを先にすることに決めた。散らばったジェリービーンズが赤くてつやつやとしていて、なんだかちょっとハズレ君の目玉に見える。紅葉は考えないようにして黙々と拾うことにする。
宝石箱みたいな缶を散々がしゃがしゃさせてようやく気が済んだのか、うろちょろしていたハズレ君はふむ、と一つ頷いて、それから今思い出したとでも言いたげなやり方で、紅葉の方へと視線を向けた。紅葉の手元を見ておや、と呟き、自分の手をひらひらと振ってみせる。
「いや、片付けとか別に気にしなくてもいいぜ」
「あ……あんたねえ」
他意のないような顔でけろりと言われて、紅葉は箱にどうにか入れ直し終わったバターサンドをぶつけてやりたくなった。結構有名な店のもので、ラムレーズンのクリームとよく合うさくりと崩れる生地が評判のバターサンドだったが、例に漏れなく無造作に床に落とされたので、クッキー部分は全部粉々になっている。ポットの蓋を開けたり閉めたりしていたハズレ君が、インスタントコーヒーとティーバッグをぽいぽいと紙コップにそれぞれ放り込んでお湯を注ぎ、およそ器用な動きなど出来なそうな丸い手で、片方を指し示して言う。
「はい紅茶」
「…………」
白い紙コップに、温かい紅茶。睡眠薬入りのレモンティーを思い出す組み合わせ。茶葉の所為かこいつの淹れ方の所為か判断出来ないが、やたらと良い匂いがして、紅葉はなんとなく眉を寄せた。微かに甘くて微かに苦い、アールグレイの柑橘の香り。無言のまま手を出さない紅葉には特に文句を言う気がないらしく、ハズレ君はさっさと自分のコーヒーに取り掛かっている。自分の体とさほど変わらない大きさの紙コップを傾けて一口飲んで、ちょっと首を捻ってから、スティックシュガーとミルクを三つずつ入れ、コーヒーをカフェオレみたいな色にしている。納得したのかもう一度口をつけて、今度は離さずにそのままごくごくと飲み始める。
「…………」
紙コップなので中は見えないが、しっかり傾いているし溢れ出してもいないので、やはり中身は減っているのだろう。あれってどうなってるんだろう、と紅葉はぼんやり眺めてみる。ハズレ君の口のどこかに見えないように穴が開いていて、お腹にペットボトルみたいな空の容器が仕込まれているとか、それともハズレ君の素材自体が超吸水性だったりとか?
ハズレ君が紙コップから口を離すと、カフェオレ色のコーヒーは当然のように空になっていたので、紅葉はそこで考えるのを投げ出した。
「……あのさあ、このお菓子どうしたの」
「んん?」
人形の表情が滑らかに変わって固定した。何がだろう、とでも言いたげな不思議そうな顔。これだけ滅茶苦茶にしておいてよくそんなすっとぼけられるなと思ったが、今問い詰めたいのは、確かにそちらについてではなく。
「だから――なんでこんなにお菓子があるのよ? あんたが持ってきた訳?」
「吾輩が持ってきたように見えるのか? わざわざ、こんなに、君への贈り物を?」
「……贈り物」
「贈り物だろう、勿論。リボンもかかってたし、どれも結構高そうだぜ?」
両手を広げてダンスのターンみたいにくるりと回り、向き直って、ハズレ君は紅葉を指差すように丸い右手を持ち上げてみせるとひょひょひょと笑う。
「不満そうな顔をしているな。プレゼントだった方が気に入らない?」
「……別に、気に入らないとかじゃなくて。ただ、くれる理由が分からないから、ちょっと受け取りづらいなって思っただけ」
そういう風に言葉を選べば、ハズレ君はすいと赤い目を細めた。顎に手を当てて、からかうような響きの声で、ふむむ、と唸ってみせる。考え込んででもいるようなわざとらしいポーズ。なんとなく落ち着かないような気がして、紅葉は少し眉を顰める。
「分からない。分からない、ねえ。なんだかいつもと立場が逆だな」
「何がよ。いいでしょ、別に?」
「ところで、君はお菓子は好き?」
「……嫌いじゃないわよ」
「贈り物をされたら嬉しいのかな」
「まあ、それなりに」
「では、相手の好きそうなものを選んで贈るっていうのは、どういう気持ちの時にするものなんだろうな?」
「それは……だから……」
「動物だったらプレゼントの理由は簡単だよな。求愛給餌といって、異性に好意を示して気を惹く為の行動だ。しかし確かに人間の考えてることは複雑なんで、君が言葉に詰まるのも無理ないかもな。あなたへの贈り物ですって渡されたからと言って、それが好意かどうかはわからないもんなあ」
「そんなことは――」
「〝無い〟? なら、どうしてだろうな。お菓子が好きで、贈り物を貰うのも悪くなくて、プレゼントをくれる理由も明白で、でもやっぱりなんか嫌、って、今君が思っているのは」
「……それは」
そう問われて、紅葉は視線を揺らして押し黙った。ドアを開けた時の混乱を思い出す。ギモーヴ、フィナンシェ、花束を模した形のラングドシャ。元々休憩に用意されていたのだろう手頃なお菓子よりも夥しい、部屋中を散らかせる数の凝ったお菓子。――どうしよう、と思ったのだった、あの時。それらが手酷く散乱した楽屋を見た瞬間に紅葉が思わず後退りかけたのは、その荒れた惨状が理由だったのではなくて、大量に置いていかれたお菓子がどう見ても〝贈り物〟だった所為だった。
あの混乱は、あのドアを閉めて見なかったことにしてしまいたいという衝動は、気に入らないという気持ちに似ていただろうか。お菓子の山からハズレ君が顔を出してうっかり怒り損ねることになったのは、自分への贈り物じゃないかもしれないと思って、なあんだ、と安堵したのが理由だったのか。街を歩くとかけられる声、親しげに囲まれる教室、校長先生に握られた手。あの時に感じたどうしようもなさに――この気持ちは?
「――――」
答えられずにいる紅葉に、ハズレ君はうんうん、と二度頷いた。ぱっ、と掲げた手にはいつの間にかチョコレートを持っていて、それをぷらぷら、と振ってみせる。
「だから要するに、好意の方が問題なんだろう。多かれ少なかれ関心が含まれていて、それに気付いているから、君は受け取りたくないんだ。いや、別にそういう拒絶が善いとか悪いとかについてはどうでもよくて、ただ望ましい好意とそうでない好意があるならば、その境目はどこにあるんだろうなって思ってな。君はどこで線を引いている? 理由がわからないから受け取ることを躊躇うと言うなら、では理由がわかれば、全て受け取ることができるのかな。一体どういう理由を示したら、君は後退りをしなくなるんだろうな?」
――あの、混乱。ドアを閉めて見なかったことにしてしまいたいという衝動。気に入らないという気持ち。お菓子の山からハズレ君が顔を出した時の安堵。見つかりたくないと思いながら歩く街、逃げ出したくなる教室、握られた瞬間に振り払いたくなった手。
〝とってもいいことだと思っていたことが、どうして悪いことになってしまうのか〟
理由がわかったとしてきっと納得なんてできるとは思えない、どうしようもないと感じる全て。それは、しかし――でも、なんとなくそれを認めたくはない、と思う。
そんなことはない、と言い返したい気持ちは、自分はどこで決めているのか――少なくとも、
だけど少なくとも、こいつの言うことを素直に聞いてやりたくない、と思っていることは確かだった。
「――誰も受け取らないなんて言ってないでしょ。っていうか、あんたは私のお菓子を滅茶苦茶にしたことを謝りなさいよ、まず」
立ち上がって、つかつかと歩いていって、ハズレ君の手の中のチョコレートを引ったくるように受け取った。透明なセロファンには青いリボンがかけられていて、デコレーションのないシンプルなチョコレートはハートの形になっていた。
〝SWEET SWEET NOT PLEASED〟closed.
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