親愛なる彼へ(シャークズ)
ぴんぽーん、と間延びしたチャイムの音に、紅葉は立ち上がった。
「すみませーん。葛羽紅葉さんにお届け物なんですがあ」
「はーい、今出ます」
インターフォンに向かって応えながら玄関を開ける。外には帽子を目深に被った郵便局員が立っていて、紅葉に向かって白い封筒を差し出してきた。手には白い手袋。
「どうぞ」
「ありがとう。――ねえ」
白い封筒を受け取って、紅葉はついと顎を上げる。
「〝手紙を送るのは、これが最後〟じゃなかったの?」
「〝手紙〟は、だろ? これは映画のチケットで、手紙じゃないぜ」
帽子の鍔を持ち上げながら、その男は肩を竦めた。
*
「そういえば、私あんたに手紙の返事を書いたのよ」
「吾輩に?」
クッキーの缶をがしゃがしゃ振るのをやめて、ハズレ君が不思議そうな顔をつくってこてんと首を傾げた。どうして? と訊いてきそうな顔をしていたので、その前に紅葉は言葉を続けることにした。
「一方的に何かをもらうのは嫌いなのよ」
頬杖をついたままぶっきらぼうに言えば、ハズレ君はなるほどなるほど、とわかったような調子で二度頷いてみせた。
「君らしい考え方だな。で――どこにあるんだ? 読んでもいいんだろ?」
部屋の中をきょろきょろと見回す人形に、紅葉は机の引き出しを指差してやった。ぴょいと飛んだハズレ君が、迷いなくその引き出しをがらりと開ける。一年分なので十二枚はある紅葉の手紙の束を、小さな体のハズレ君は一息に全部持ち上げた。机の上にばさりと置いて、服のポケットに手を入れて、買ったばかりのようにぴかぴかしたレターオープナーを取り出す(どうしてピンポイントでレターオープナーを持っていたのかは謎だ)。ハズレ君がまるい手で器用にさりさりと手紙の封を開けていくのを、紅葉はベッドに腰掛けて眺めることにした。
「よっと」
全部の手紙の封を切り終わったハズレ君がレターオープナーを放り投げ、机の上にぽてんと腰を下ろして一枚目の手紙を開いた。手紙が届くたびに、わざわざ雑貨屋に足を運んで選んで用意したレターセットは、十二枚分どれも違う柄なので、こうして机に広げてみるとなかなかに華やかだ。いかにも女の子が書いたという見た目の手紙の山の中で便箋を広げる人形というシュエーションは、見方によっては結構可愛く見えるかもしれない。コーヒーカップ(いつもは父親が使っているものである)を置いたシンプルハートが立ち上がって、ハズレ君の後ろから紅葉の手紙を覗き込みにいく。
「どれどれ……えーと」
ぺらり。ぺらり。ぺらりぺらりぺらり……。人形が次の手紙に手を伸ばす時間が妙に早い理由が、こいつが物凄く文字を読むスピードが早いから……などというわけではないことを、紅葉はもちろん知っている。
「……ええと」
最後の一枚を読み終わったらしく、人形はちょっと困ったような声を漏らした。紅葉の便箋をぺらりぺらりと更にひっくり返して、真っ白なままの裏面を見たりしている。珍しく静かになった人形の口元が、吊り上がったままの形で固まっている。
『何遊んでんのよ』『暇なの?』『ミーハーじゃん』『大人の男が人形とツーショットって恥ずかしくない?』――可愛らしい手紙に書かれた一言だけのメッセージたちは、別に頭文字を繋ぎ合わせたりしても感動を誘う言葉にはならない。
十二枚分の紅葉の手紙を机いっぱいに広げて、世界中の誰よりも優秀なのだろうその頭を使って、何らかのメッセージを読み取ろうとしていたらしい彼は、どうやらむなしくなったのか諦めたのか、やがて紅葉に向かって観念したようなため息をついた。
「…………熱烈な手紙をどうもありがとう」
「どういたしまして」
期待はずれの手紙をまんまと味わわせてやったことへの、少しばかりの機嫌直しを込めて。紅葉は男と人形に向かってにっこりと、とびっきりに可愛く笑ってやった。
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