続・親愛なるM嬢へ(シャークズ)

 エッフェル塔。タワーブリッジ。自由の女神。スフィンクスの後ろに写るピラミッドに、地面に空を注いだような塩湖、夜を覆い隠す鮮やかなオーロラ。

 月に一度は届くようになったその封筒には、毎回写真だけが入っている。


 最初の頃は青空の写真が一枚無造作に入っている、というようなものばかりで、紅葉も少々感傷的になどなってしまったものだが、ロンドン橋をバックにフィッシュアンドチップスを食べる(食べる……?)ハズレ君と、そこに普通に写り込む、おそらくはコーヒーを持っているらしき手――の写真が届いた辺りから様子がおかしくなり、今ではほとんど知り合いから、旅先のポストカードを受け取っている気分だ。

 あいつ普通に満喫してるでしょ、一応見つかるとまずいことになっていたんじゃなかったのか? と半ば本気で心配してはいるものの、どうせ言ったって聞かないだろうと、その辺のことは諦めている。注意をしようにも、紅葉には手紙の宛先を書くことができないし。

 今回の写真はエメラルド色の海だった。まったくどこにいるのやら、と紅葉は小さく苦笑した。ハズレ君が抱えようとして抱えきれていない巨大な虹色のかき氷に、多分ハワイかな、と見当をつける。あいつから届く写真は、紅葉でもわかるような有名な観光名所が派手に写っているから、あの男が今どこにいるのかもなんとなくわかるのだ。まあ、紅葉の元にその写真が届く頃には、きっとその場所からはいなくなっているのだろうが。

 返事はどうしようかな、と、その嘘みたいなエメラルドグリーンの写真を眺めながら思った。一方的に受け取り続けるという状況がなんだか不服で、何度目かのときから紅葉は返事を書いている。もちろん宛先などわからないので、封をした紅葉の手紙は机の引き出しの中に溜まっていくだけなのだけれど。

 自分の居場所は教えないくせに、こちらの居場所は当然のように把握している『葛羽紅葉様』の文字を、紅葉は指で弾いた。以前に一度だけされたことがあった、「紅葉さん」などというまったくらしくない呼び方を思い出しながら、様付けなんて全然似合わないのよ、と心の中で毒づく。紅葉の方にばかり積もり重なっていく封筒の数に、いつもいつも一方的だし本当に勝手なのよ、といくつかの悪態を並べて、紅葉は写真を封筒に仕舞おうとした――不意に触れたかさりとした感触に、紅葉の目が見開かれた。

「……え?」

 改めて、封筒の中を覗き込む。小さな紙が一枚入っている――その薄い手触りは写真ではなくて、紅葉の指先が一瞬固まった。

 あいつからの初めての〝手紙〟は、「君に手紙を送るのは、これが最後になると思う」という書き出しで始まっていた。


 言葉の続きはなんだか色々書いてあって、けれど目は文字を追っているはずなのに、なぜだか頭には全然入ってこなかった。

 最後? なにがだろう。手紙が? あいつがようやく寄越した〝手紙〟は、これが初めてだったのに?


 勝手なのよ、と呟いた。いつもいつも一方的だし、本当に勝手なのよ。気まぐれのように渡すだけ渡して、でも受け取る気はなくて、そして気が済めばあっさりと何もかも放り出していく。ようやく通じたのかと期待した瞬間に突き放されて、掴めそうだった糸は呆気なく手離されて、そうしてあいつは、いつかのために用意した手紙たちの、いつかを呆気なく台無しにする。

 ぐしゃりと握りつぶしてしまいたい衝動に駆られた手紙は、けれど手に力が入らないせいで上手くいかずに、紅葉は堪えたくもない気持ちを堪えるために唇を噛んだ。

 あいつはいつだって、紅葉の言葉なんて全然興味のない顔で。

 紅葉の気持ちなんて、どうせ全然考えてはくれないのだ――


「――――あ」


 れ、と。声が滑り落ちて、紅葉はぱちりと瞬きをする。

 言葉の続き。手紙の続き。薄い白い紙に長々と書かれた手紙の最後の一行。頭に全然入ってこなかった文章で、濁りかけた視界の中で、その最後の一行だけは、なぜだかやたらとクリアに見えた。

「――はあっ」

 盛大なため息をつき。彼女は不機嫌そのものの顔で、叩きつけるように手紙を机の上に投げ置く。


「――――紛らわしいのよ! あいつは!」


 ――『おみやげを楽しみにしていてくれ』。

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