パーティーへようこそ(シャークズ)

 江原雅史だったか雅輝だったか、とにかく紅葉はその江原先輩の誕生日パーティーに呼ばれてしまっていた。

 もちろん本来であれば誘われたその場で欠席の返事に決まっているのだったが、江原は仕事でも仲良くお付き合いしているからとかなんとか調子のいいことを言い出して、あろうことか紅葉の家に直接招待状を送ってしまい、案の定紅葉の母親が乗り気になって、紅葉は諸々の抵抗も虚しく、貴重な休日を潰して、こうして嫌々とこのパーティーに出席する羽目になってしまったのだった。そもそも「仕事でも仲良く」以前にプライベートで一ミリも仲良くないししたくもないから意味がわからないし最悪である。


 貸し切られたホテルのそのローズガーデンは、優雅で贅沢で開放的な空間というのが謳い文句らしかったのに、それは招待客のあまりの多さでほとんど台無しになっていた。

 紅葉は江原に連れ回されて、家族だとか親戚だとかお得意様だとかいう人たちにいちいち紹介されることになり(どうして紅葉が江原の家族やら親戚やらに紹介されなければいけないのか)、到着早々に疲弊し続けている。招待客の中にはテレビや雑誌で見た覚えがある有名人もちらほらと混じっているようで、多分喜んだり浮かれてみたりするべきだったのだが、江原が頻繁に、

「ほら紅葉ちゃん、あの人も呼んだんだよ。紅葉ちゃんもテレビで共演したことがあっただろ? せっかくだから挨拶してきたらどうだい? 僕も一緒に行くからさ」

 などと言ってくるのでただただ迷惑極まりなかった(その全てに「いや全然知らない人ですね」と答えていたら最終的には言われなくなった)。その上江原は腰に手を回したり(振りほどいた)肩を抱き寄せたり(払いのけた)腕を組ませようとしたり手を取らせようとしてきたり(無視した)と紅葉をやたらとエスコートしようとしてくるので、正直かなり鬱陶しく、慣れないピンヒールと丈のやや短い気のするパウダーブルーのドレスも相まって、紅葉はかなりぐったりとしてしまった。


「紅葉ちゃん、こっちにおいで。ほら、僕の隣だよ」

「ええいやその、私は」

「あら、よかったじゃない紅葉。せっかくだから隣に座らせてもらいなさい」

 丸いテーブルはいくつもあったので、食事の始まる時間になって紅葉はようやくこの馬鹿から離れられると期待していたのだが、何故か同じテーブル席に呼ばれてしまった。おいおい勘弁してくれよと思ったのだが、紅葉の母親まで口を出してきて到底断れる雰囲気ではなくなり、紅葉は「はあ……」とため息と返事をぐしゃぐしゃに混ぜたような声で呻いて席に着いた。

「でもいいのかしら、雅史くん。ここって雅史くんのご家族のテーブルでしょう? ご迷惑にならないかしら?」

「はは、いいんですよお母様。僕にとっては紅葉さん達は、もう身内みたいなものですし。ねえ紅葉ちゃん?」

「はあ……どうも……」

 和気藹々といった調子の江原と紅葉の母親に挟まれて、紅葉は陰鬱な気持ちで相槌を打つしかない。江原の母親らしい女性と父親らしい男性も会話に混ざり始めてしまい、にわかに盛り上がるテーブルで、紅葉は早く料理がきてくれないかなと切実に思う。

「話に聞いていた通り、本当に素敵なお嬢さんねえ。早くうちに連れて来てくれないかと待っていたのよ」

「可愛らしいお嬢さんじゃないか雅史。今度はうちの別荘にも来てもらったらどうだ?」

「やだなあ父さんも母さんも気が早いよ。紅葉ちゃんはまだ高校生なんだよ?」

 どいつもこいつも何を言ってるかさっぱりわからないので延々と会話を聞き流していると、ガラガラガラ、とワゴンを転がしてくる音がした。助かった、と思いながら、紅葉はそちらに視線を向けた。

 ガラガラと大きな音を立てさせていたと思ったワゴンは、視線を向ければ荒っぽさとは真逆の滑らかさで音もなく運ばれてきた。あれ、と不思議がる紅葉の横で恭しく止まり、紅葉はつられて顔を上げる。


「な…………」


 声を上げそうになって慌てて堪えた。

 何食わぬ顔で料理をサーブし始めたウェイター姿のシンプルハートは当然、絶句する紅葉のことを無視している。

 席についている人々は切れ目なく談笑をし続けていて、テーブルの上にどんどん並べられていくご馳走には何故かまったく目を向けない。というか、なんだかテーブルを囲む者たちは皆、料理が運ばれていることにも気づいていない様子なのだ。意識の死角に滑り込ませているような、そいつの手際は苛立たしいほどに適切で、紅葉はつい、欠点があるほうが印象に残りやすく、欠点がなさすぎると逆に印象に残りづらいという、どこかで聞いた余計な話を思い出す。

「だからさ紅葉ちゃん、今度一緒に映画でも」

「あ本当に大丈夫です」

 目が離せなくなっている紅葉に構わずに、シンプルハートは最後らしい料理を持ち上げた。料理の中でも一際大きいその皿を、片手で軽々とサーブする。ボウルをそのままひっくり返したような銀色の蓋、確かクロッシュというらしい――がかかっていて、中に何が入っているのかわからない。それがなにやらがたがたと小刻みに揺れて――かぱ、と気の抜けるような音を立てて持ち上がった。

 内側から。

「――――」

 悲鳴を上げそうになった。紅葉のことを完全に無視していたシンプルハートが、そのクロッシュをテーブルに置く一瞬だけ、こちらにちらりと視線を寄越した。しかし文句をいう余裕がない。

 クロッシュの中――料理があるべきその中で。ほんの五センチほど蓋を持ち上げたハズレ君が、隙間から顔を覗かせて紅葉に視線を合わせると、よぉ、とでも言いそうな呑気さで手を振った。

「っ……! ……!!」

 声を出せずに口をぱくぱくとさせる紅葉に構う様子もなく、ハズレ君はひょいと視線を外した。料理を眺めるようにきょろきょろして、銀色の蓋をぱちりと閉める。紅葉はばっと周りを見た。幸い全員お喋りに夢中なようで、ハズレ君のことは誰も見ていない――ほっと息をつきかけた紅葉の安堵を台無しにするように、クロッシュがまた持ち上がった。三センチほどの隙間からフォークだけがにょきりと伸びて、ふらふらと危なっかしい動きをしながらローストビーフをぶすりと突き刺し、突き刺したままするするとクロッシュの中に戻っていく。しばしの間を置いてまたフォークが伸び、今度は海老のフリットを突き刺して引き返していく。

「……………………」

 だらだらと冷や汗をかきそうになりながら必死でどうすべきか考えている紅葉の心証など誰も知るわけがないので、ようやく料理に気付いたらしい人々は、今度は料理に夢中になって盛り上がり始めた。わいわいがやがやと歓声が飛び交い、誰かがクロッシュがかけられたままの一際大きい皿に目を止める。

「おっ、さてはこれがメインディッシュだな? 雅史くん! せっかくだから君が開けたらどうだ?」

「僕がですか? いいのかなあ。でも叔父さんがいうなら断れませんね」

 江原と親戚が間抜けな会話をしている横で、ポテトを突き刺したフォークがケチャップをつけようと宙をウロウロしている。長さが足りないのかハズレ君が隙間から身を乗り出してきて、紅葉は慌ててポテトとケチャップの乗った皿をハズレ君の方へ押しやった。希望通りポテトにケチャップをつけて満足したらしいフォークがクロッシュの中へと戻っていき、紅葉は今もしかしてフォークごとハズレ君を引きずり出した方が良かったのではと思い当たって頭を抱える。パニックになる紅葉の真横で席から立ち上がった江原が、高らかな声で宣言する。

「では僭越ながら、僕がメインディッシュを開けさせていただきましょう! オープン!」

「――――――っ」

 思わず口元を手で覆った紅葉の、声にならない悲鳴は歓声にかき消された。

 「Happy Birthday Prince!」とチョコレートの文字で書かれた三段重ねのケーキはまるでウェディングケーキのような出来栄えで、紅葉はしばし固まってから思い切り脱力した。


 *


「雅史くん、せっかくだから君もどうだい?」

「ワインかあ。僕は未成年なんですが……でも今日はせっかくだし、一口だけもらっちゃおうかな」

「そうこなくっちゃ! そうだ、紅葉ちゃんも飲むかい?」

「これ、いいワインなんだよ。確か八十年ものだったかな?」

「いや、私は未成年なんで……オレンジジュースでいいです」

「そうかい? じゃあ……乾杯!」

 招待客がワイングラスを持ち上げて、一息に煽る。ガラスが砕け散る音がしなかったのは、どうやらワイングラスは全て本物そっくりのプラスティック製にすり替えられていたかららしい。一斉に昏睡した招待客の手から滑り落ちたグラスはテーブルやら芝生やらに転がって、本日の主役であるところの江原雅史は、見事に顔から巨大なバースデーケーキにのめり込んでいた。

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