#世はきみ3 グレーゾーン(ギノ酸)
(!)長谷ギノ酸アンソロ『Quiet hour』掲載の桐とろさんの『グレー』の後日談を書かせていただきました!
「――ああ、君。このシャツなんだが、違う濃さのグレーはないかな」
「ダークグレーがございますよ。失礼いたしますね……こちらです。いかがでしょう? シックで落ち着いた印象が引き立つお色ですし、お客様にとてもお似合いだと思います」
「……いや、この色は持ってたな。他は?」
「そうですね、あとは……こちらはいかがでしょうか? シリーズは違うものですが、明るい、……ええと、爽……その、淡いお色味で人気がございます」
「ふむ……ありがとう。これを貰っていくよ」
「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」
紙袋を受け取り店を出る。グレーという色のシャツは、きちんと灰色に見えた。ギノルタにとっては、当然。
当然、機構の構成員には服装規定がある。
例えばカチューシャのフランス人形のような恰好は例外の一つで、あれは世間に混ざることを目的としている訳でも彼女の趣味でもなく(別に趣味でもいいが)、より世間から浮き上がらせるためにと出された機構からの指定だ。彼女が大量破壊――殺戮と言い換えてもいいが――そういう兵器であることへの安全装置の一つ。より目立ちやすく、より人の記憶に残りやすく、より足取りを掴みやすくすることを目的としたものであるから、あの衣装を脱げばその時点で逃亡の意思ありと見做すことになっている。
そういった例外を除き、大半の構成員は世間に混じることを目的とし、各々に与えられた肩書きに準じて服を着なければならない。医者であれば白衣を着るし、学生であれば制服、会社員であればスーツというように。より目立たず、より記憶に残らず、より足取りを掴ませないよう、役割に応じた形を整える。言うまでもなく、個人の趣向などは反映されることはない。
〝――もう着ないのか? あのグレーのスーツは〟
〝たまには、グレーも身につけるといいことがあるかも……ジンクスだ〟
あれは命令だった。はずだ、と、ギノルタは思う。命令ならば遵守が当然で、ギノルタは勿論言われたその日にグレーのシャツを(多少の納得のいかなさを感じながらも)買いに行った。
そうして一月。ギノルタはまだグレーのシャツを探している。
初めに手に取ったのはライトグレーのシャツだった。処分したスーツと同じ薄さの色だったから、一番最初に目に付いたのだ。眉を寄せながら手に取り、渋々会計しに行こうとし、ついでにグレースーツの売り場に忌々しく目をやったら――そこで、グレーの濃淡には、どうやら種類があるらしいということを発見した。チャコールグレー、ダークグレー、ミディアムグレー、ライトグレーと四色。特にチャコールグレーというのが、以前だったら黒と判断していたに違いない色の濃さだった。これだ、と思った。ギノルタには黒に見えるし(無論文句の付けようのないグレーだとも)グレーであることに間違いないのだから(黒にしか見えないが)この不快さも多少はマシになるだろうと、あの時ギノルタは、彼にしては前向きな気分でそう思った。チャコールグレーのシャツを六枚買い(取り敢えずサイズを合わせて在庫をあるだけ購入した)、一枚はその場で着て――六日後。ギノルタは認めた。チャコールグレーは、あのお方はグレーとはお認めになっていないようだと。
チャコールグレーのシャツは処分し、ライトグレーのシャツを買い直した。クリーニングを挟んで二巡し、纏めてゴミ箱にぶち込み、ダークグレーとミディアムグレーのシャツを買いに行き――同上。ギノルタは流石にグレーという単語を辞書で引いた。自分が何か大きな思い違いをしているのではないかと思ったのだ。グレーとは色の種類の一種である。無彩色または黒色と白色の中間色。グレイ、灰色とも。白とも黒ともつかない中間的な色合いから、一方に判断がつけられない微妙な状態を表すこともある。……はあ? ならミディアムグレーはグレーでは?
手に下げた真新しい紙袋ががさりと音を立て、ギノルタは沈痛を覚えて息を吐く。目新しい(かもしれない)濃淡のグレーのシャツを見かける度、こうして手に入れてはいるものの、どうせこれもハズレだろう。当たりの入っていないくじ引きを延々とやらされているみたいな気分だ。この辺りのスーツを扱う店はここが最後だった。どうする? 更に足を伸ばすか、あるいは――
「あざーしたァー」
やや張られた気だるい礼に顔を上げると、程近い距離で店員が客を見送っているところだった。視線を留める。路面店。ガラス張りの向こうに、スーツ屋には並ばない類の雑多な色をした服が見える。
「……」
のろり、と足を向ける。中に戻りかけていた店員が、ギノルタに気付いて「らっしゃーせー」と崩れた声をかけ、中途半端に開いた扉を大きく開け直す。
出迎えたその店員はグレーのシャツを羽織っていた。
「……グレーじゃないのでは?」
「ギリのライン攻めてみました」
十ほどのハンガーを両腕に引っ掛けて戻ってきた店員は澄ました顔をしている。あー、服装規定が。急な話で大変スね。ウチ扱ってる服ビジネス用じゃないんで、このシャツもだいぶラフっスけど平気です? よかった。今俺着てるヤツと、あとグレーのシャツお探しなら、他にもいくつか持ってきた方がいいスか? ――そう問われ、首肯した結果がこれだ。注文通り、彼が着ているものと同じグレーのシャツが一枚と、それよりも更に濃い色のシャツが一枚、それは良いのだが、残りはどう見ても色がついていた。青、赤、緑、黄色、茶色、紫……視線を向ければ、店員の方は両腕のハンガーをラックに置いて、やる気のない手品師のような手つきでペラリと一枚、商品のタグを裏返した。グレー。
「一気に並べてるんで色差がわかりやすいんスけど、単体で見たらここら辺まではグレーでいけると思いますよ。もーちょい色つくとブルーグレーとかスモーキーグリーンとか表記しますけど――今着てるそのシャツ、スーツ屋さんのスよね?」
「あ? ああ」
「見た感じスーツ&ユースのシャツだと思いますけど……このシャツってちょい赤みがあるんスよ。あー、ピンと来てないスね。これ色チェックできるアプリなんスけど、このカメラでこーするとお……ほらァ、ピンクが入ってるでしょ? だから辞書的に言っちゃえば、このシャツって厳密にはマジのグレーではないんスよね。でもビジネススーツの店では、この色をグレーとして売ってる。これは多分職場映え狙いでしょうかね。ビジネス服ってやっぱイメージ的にブルー系が強いんスけど、実際オフィスの電球って大抵が昼白色か昼光色で、昼光色はより青みがかってるんで、昼白色ならいいんスけど昼光色でブルー着ると青々し過ぎで爽やか通り越しちゃったりするんスよ。なんでこのシャツみたいに、ピンクとか入れてたりすると逆に顔色とか雰囲気とかが良い感じに見えるっつーパターンもあって――はは。ちょっと話逸れましたけど、まあ要するに、服屋のグレーって割と曖昧なんスよね。人それぞれっつうか、好みっつうか、グレーだって言い張ればそれはグレー、良い感じならそれでオッケー、みたいな。んで、チャコールとかダークグレーとかライトグレーとか、定番のヤツ一通り試してもしっくりこなかったっつーことでしたら、こーいう方向でアプローチしてみるのもどーかなと」
よく喋る店員だな、と話半分聞き流しながら、それでもいくらか拾った説明にギノルタは眉を顰める。服のことなど興味がないから、この店員が優秀だろうがそうでなかろうが、話された内容の真偽も諸共にどうでもいいのだが――要するに、それは。
「……その〝良い感じ〟だか〝好み〟だかが曖昧だから困っているのに、これ以上範囲が広がるのか?」
「ああ――規定?」
「まあ」
「――んー……〝華美じゃない服装〟とか〝明る過ぎない髪色〟とかあるじゃないスか、校則とかで。ああいうの、具体的にコレは良い、コレは駄目って教えてくんないから、自分で判断するしかないでしょう。どこまでやったら先生に怒られるかって試したりしませんでした? ブリーチとか」
「いや」
「はは、じゃあコレ初挑戦スね。あれって結局バチッとした正解とかなくて、自分と先生の共通項つか、共通言語つうか、そういうものを〝まあここら辺が正解かな〟ってことにしてる感じするんスよね。俺の体感になっちゃいますけど……なんてか、双方納得のできるラインを探しましょう、みたいな」
「――納得してもらえなかったら?」
「いやあ正直話を聞く限り、こんだけお客さんにグレー揃えさせてもまだ一個も当たり判定出してこないっつーのは、その人どんだけグレーに厳しいんだよって感じでややウケるまであるんスけど――まあ、グレーなんて四〇〇色ありますからね。めげずに粘ればなんとかなるでしょ。当たって砕いていきましょう」
ほら、これとかよくお似合いですよ。どうですか? 急に店員のような口調に切り替えて、彼が鏡越しに一枚シャツを当ててきた。当たって砕けたら不味いのでは? と訝しみつつ、ふと思いついてシャツのタグをぺら、とひっくり返してみる。スモーキーグリーン。ギノルタの視線に気付いたのか、その店員は「いやまあ、俺はゴリ押しで言い張っちゃいますけどね」と、肩を竦めてからりと開き直った。
――ギノルタがオキシジェンから直接の任務の通達を受けたのは、それから三日後、例の服装規定の変更日から数えると三十三日後のことだった。なるほど、これがこの方にとってのグレーなのか、通りで全部外れた訳だ……と、脱力するような納得が一つ。別にコメントを期待した訳ではないが、危うく四〇〇枚のシャツを買う羽目になりかけた手前、一言ぐらいは何かあってもいいのではと思い直して呼び止めた。やや意趣返しを込めて訊く。
「薦めていただいた、グレーのシャツです。――似合っていますか?」
「……グレー?」
首を傾げてそう問われる。腑に落ちこそなったような響き。言葉の意味を眺めるような一呼吸を置き、ああ、と呟くように彼は言って、それから少し目を細めた。
〝gray zone〟closed.
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