やけっぱちバースデイ(守雄+柊)

 誕生日ケーキの上に乗っているプレートのようなチョコレート色の看板。つい足を止めたのは、久し振りに仕事が決まったせいかもしれない。

 ガラス越しに眺めれば、やはりというかケーキが並んでいる。チョコレートケーキ。モンブラン。桃のムース。あの山のように果物を積んでいるやつはタルトだろうか。どれも美味そうだが、でもこういうときはやっぱりショートケーキがいいよな、と池ヶ谷守雄はひとりごちた。お祝いには苺と生クリームと決まっている。

(ケーキか。ケーキもいいよな。今日くらい……あー、でも)

 敷居の高そうな店だ。薄いブルーの外壁はいかにも女の子が好みそうで、そっとケーキの値札を盗み見れば、フルーツタルトにはタルト・フリュイ・セゾンと書かれている。自分では絶対注文で手間取るな、と、小さく苦笑して頬を掻いた。それにどれもまあまあ高いし。寿司に焼肉、ピザ、ステーキと、お祝いっぽい食べ物の看板を見る度にふらふらと吸い寄せられてしまっていたが、そろそろ気を引き締めておかなければいけない。決まったとはいえまだ仕事は始まっていなくて財布は薄いし、いい加減腹も減っている。もう昼過ぎだ。

「まあ、マックか吉野家とか――」

 些か侘しいが現実的ではある空腹の対処方法を思い浮かべながら、帽子の鍔を軽く引いて気を取り直し。さて、と振り返って、そこでうわっと声が出た。

 柊が立っている。

「な、なんであんたがここに……」

「入らないのか……」

 相変わらずの長い前髪で片目を隠していて、相変わらずのぼそぼそと頼りない声だ。そして相変わらずの、こちらを狼狽えさせる唐突な登場。入らないのかって、と守雄は後ろの店を見直した。

 チョコレートのような看板に、薄いブルーとガラスの外観、宝石を飾るように恭しく並べられたケーキ。女の子のおもちゃ箱に入っているお城みたいだ。

「あ、あんたは入るのかあ……?」

 思わず聞いてしまったが、よほど自分は怪訝な顔をしていたのだろう、柊は少し目を細めて口を開いた。笑ってはいないのに、響きだけはからかうような声。

「おかしいか……? 僕が入るには」

「い、いやそういうわけでは」

 ないけども、ともごもご続けかけた守雄の言葉の途中で、遮るというよりは続きを引き取るようなやり方で、柊はすいと手を差し出した。え、とつられるように視線を落とす。

 彼の細い指先に、千円札が三枚。

「一番小さいものなら、これで足りるだろう……代わりに買ってきてくれ」

「は?」

「僕では、悪目立ちをするんだろう……?」

 柊の口元が、微かに持ち上がっている。守雄はばつが悪くなって小さく呻いた。失言への意趣返し、にしては柊にやる気が見えないが、しっかり仕返しにはなっている。

 おれだって、ここに入ればどうせ悪目立ちだ。

「うう、くそ……。わかったよ。ケーキ……ホールのやつでいいのか?」

 渡された金額に検討をつけると、柊がああ、と頷いた。ため息を吐いて帽子の鍔をぐいと下げる。くるりとガラス戸に向き直り、押し開ければ眉を寄せた店員と目が合って、合った瞬間にっこりとした顔が貼り付いた。いらっしゃいませと明るい声で出迎えられる。店に入らないのにドア先で長々と動かない様子がガラスで丸見えだったのだから、不審がられて当然なのだけれど、こっちの悪目立ちは考えていなかったので少し傷つきそうだった。もうさっさと済ませてしまおうと口を開いて言う。

「あ、あー……、えーと、ケーキを。この苺の丸いやつをください。一番小さいの……四号?」

 で、いいんだよな? と、柊を見ながらショーケースに指を突きつけ軽く首を傾げると、ガラスの向こうで柊が首を縦に動かした。よしと顔を戻せば店員の女性は、何故かますます困惑した顔をしていた。会計を待つ守雄の視線に、気を取り直すように営業スマイルを一つ。

「シャンティ・フレーズの四号サイズですね。ケーキにプレートはお付け致しますか?」

「シャン……? あっ、いや、はい、そうです。えっと、プレート?」

「はい。バースデープレートはご入り用でしょうか?」

「あー、ええと、そうだな……、」

 どうするんだ、ともう一度柊の方を向こうとして――柊がいなかった。えっ、と焦って向かいの歩道まで視線を投げるが、やはり姿形もない。一体どこにと口走ったら、いや、最初から誰もいませんでしたよね……? と、店員の女の子が耐えかねた顔で呟いた。


 *


「やっぱりこれって口実なんじゃないの?」

「なんだよ口実って」

「えー? だからさこれってつまり、姉ちゃんに会う為の言い訳? みたいな? そういうやつなんじゃないの」

「だあから違うっつーの。それになんであいつに会うのに口実やら言い訳やらが必要なんだよ?」

「ええ? なんかさやっぱあんたってズレてない? ていうか、じゃあ、なんであんなの持ってきたのさ?」

「いいだろ別に。だって仕方ないだろ、もう保冷剤も賞味期限もギリギリだったし……公園にもいないし……」

「公園?」

「なんでもねーよ。そんなことよりそろそろそれ冷蔵庫に入れておけよ。だいぶ外歩き回ったからクリームが傷んでるかも……。……しかしなんか、悪いな。晩ご飯とか。昼飯食べ損ねたから正直かなり助かった。おまえらすごいな、ちゃんと自炊とかしてて。えらいよ本当に」

「あんたが急に来ちゃったから、姉ちゃん変に張り切っちゃってんだよ。急に買い出しとか行くし。今日なんか出前をピザにするか丼ぶりにするかって話してたんだぜ」

「ピザかあ。昼に食べたかったんだよなあ。高かったから諦めたんだけど」

「あんた、それ絶対に姉ちゃんの前で言わないほうがいいよ。――ねえ、じゃあさつまり、このケーキっておれ達に買ったわけじゃないんだろ。本当は誰のケーキなのさ?」

「なんか今となっちゃ、おまえらに買ったんじゃないってわけでもねーよーな気もしてきたんだが……」

「まだるっこしいなあ。誕生日プレートついてんじゃん。おれも姉ちゃんもまだ先だけど。守雄の誕生日? まさかね」

「当たり前だろ。おれもまだ先だよ。それは聞きそびれたから一応買っておいただけで……。それに今日は誕生日っていうか、仕事が――、……」

 はた、と何かに思い当たったように守雄が言葉を途切れさせ、健輔はちょっと首を傾げた。

「仕事って? ……? なに、変な顔して」

「……いやまさか。まさかな。ええ……?」

 なんだか「信じ難い」と「でもそういえば」を行き来するみたいな顔をしている。不可解なのに、けれど他の答えは思いつけないような。そういう顔を自分に、おれや守雄にさせるやつを、健輔は一人だけ知っている。

「ねえ、仕事って、もしかしてなんか決まったの」

「……、…………決まったけど」

「……ねえ? このケーキって、もしかしてさあ」

 バースデープレートがぶすりとケーキに突き刺された。堪え切れずににやにやしていると、守雄は「柊さんの誕生日ケーキだ」とむすりと言って、往生際悪く顔を背けた。

0コメント

  • 1000 / 1000