May I give you a hug?(シャークズ)

「抱き締めたい」

「はっ?」

 唐突な言葉に呆気に取られて紅葉が思わずシンプルハートの顔を見れば、当の本人は相変わらずのしらりと気のない顔をしていた。ソファに脚を組んで頬杖をつき、膝の上で開いた雑誌へと視線を落としている。その落ち着き払った態度はどう見直してもいつもの彼で、紅葉は手酷く混乱した。

「え……え? なに? 聞き間違い?」

「いや、君が何をどう聞き間違えたかは知らないが、抱き締めたいと言ったのは吾輩で間違いないな」

 平然としたいつもの彼らしい表情で、およそいつもの彼らしくない台詞を口にする。これ誰なの、と目がぐるぐるしそうになる紅葉など頓着しない様子で、シンプルハートは言葉を続けた。

「それってどういうことなんだろうな。なんで抱き締めたいって思うんだろうな?」

「え、あ、あー……」

 なんとなく状況を把握できてきた。気持ちを落ち着けよくよく見れば、彼が開いている雑誌のページでは、どうやら恋愛関係の特集が組まれているようで。紛らわしい言い方はよしてほしい、と紅葉は内心八つ当たりのように怒鳴る。微妙な沈黙に微妙な間が出来てしまって、動揺と居心地の悪さを、はあ、とため息をつく振りで誤魔化した。

「だから……その。好きだからじゃないの?」

 平然とした顔をどうにか装い、平坦な声で無難な答えを返してみれば、シンプルハートは少し首を傾げた。

「好きだと抱き締めたくなるのか?」

「そりゃ、まあ……」

 多分。と、紅葉は視線を泳がせたくなるのをどうにか堪えて答える。好きだと抱き締めたくなるのは一般論で、だからこの肯定は全然おかしくないはずだ。なのにそれでも無性に気恥ずかしくなってしまうのは、「じゃあ君も好きなヤツに抱き締められたくなったり抱き締めたくなったりするのか?」とかなんとか淡々と問い詰めてくるような気がするこいつの質問に、紅葉はきっと、他人事のような顔のままでは答えられる気がしないからだろうか。

 我慢比べのようなじりじりとした沈黙に、なぜだか逃げ出したくなる衝動に駆られそうになる紅葉を余所に。シンプルハートはふむ、と呟いて、紅葉に視線を向けるとさらりと言った。

「じゃあ、吾輩は君を抱き締めてもいいのか?」

「……な――――なに急に」

「急にっていうか、割と前から思っていたけど。ほら、今日吾輩が約束もなくいきなり君に会いに行って、君はてっきり怒り出すと思っていたんだが、そしたら「馬鹿じゃないの?」って言いながら呆れたような顔で笑っただろ? その顔を見たらなんだか無性に抱き締めたくなったんだが、なんでそう思ったのか根拠がわからなくてな。ちょっと考えてたんだがやっぱりいまいちわからなくて、君に直接訊いてみたってわけだ」

「……あの、えっと、一応聞くけど、今もまだそう思ってるの?」

「いや、今は別に」

「も、もー……ああもう」

「なんだよ?」

「次からは普通にその場でやりなさいよ。そうやって延々考えられてると怖いわよ」

「なんで?」

「な、なんで? なんでってなんで……いや、ていうか、普通はそんな風に色々考えないで、えと、その、いきなりっていうか急にっていうか、とにかく衝動的にぎゅってするものなのよ。いちいちだ、だき、……ああもう! だからとにかくそういうことは訊かないものなの!」

「いや、しかしほら、吾輩は割と人の気持ちやら空気やらがわかっていないところがあるから、もしかしたら吾輩が素晴らしいものだと思いたい気持ちであったとしても、君にとっては良くないものだったりするかもだろ?」

「あ………………あんたって、そういうとこ、ほんっと……」

 頭を抱えたくなりながらシンプルハートの表情を窺えば、彼はやっぱり悔しいくらいに崩れないポーカーフェイスで。紅葉はなんで私ばかり振り回されないといけないんだと腹立たしくなって、ぎゅうと無言で抱きついてやった。

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